

いにしえの時代を物語る古代遺跡と大帝国の栄華を偲ぶ壮麗な建築物。アジアとヨーロッパの接点に位置するトルコでは、多くの民族がこの国を通り過ぎ、さまざまな文化を開花させてきた。ヨーロッパの列強を震撼させる強国に成長したオスマン朝時代を経て、近代国家への道を歩み出したこの国は、第一次世界大戦後、1923年にトルコ共和国として独立。ムスタファ・ケマルの斬新な改革により、国の基礎が作られた。
紀元前2000年ごろアナトリアの地には最初の統一国家であるヒッタイト古王国が建国されていたといわれる。鉄器を初めて使用したというヒッタイトは紀元前1400年には全盛期を迎えるが、紀元前1200年頃には謎の海の民により滅亡。その後のトルコはペルシア帝国、ローマ帝国、東ローマ帝国、そしてセルジューク朝などの支配のなかで、さまざまな文化を開花させてきた。
1299年、オスマン・ベイによりオスマン朝が成立。1402年、アンカラの戦いでティムールに破れ、一時的に滅亡するがまもなく復興し、1453年にコンスタンチノープルを陥落。ビザンツ帝国を滅亡させるなどして、アナトリアやバルカン半島のほとんどを領土に収める。16世紀に入ると、トルコはますます勢力を増し、1517年にエジプト、1526年にはモハーチの戦いでハンガリー王国を征服。1529年にはウィーンを包囲し、ヨーロッパ諸国を震撼させた。この時期、トルコは東欧から北アフリカや西アジアにまたがる巨大国家に成長し、オスマン帝国の絶頂期を迎えた。
1571年、レパントの海戦でスペイン艦隊に敗北。以後トルコは衰退し、18世紀後半には露土戦争の結果、クリミア半島をロシア帝国に割譲することとなる。19世紀のはじめにはタンズィマート改革が始まり、さらに1876年にはオスマン帝国憲法を制定するなど近代国家への道を歩み出すが、アブデュル・ハミト2世が専制君主制を復活させたため、青年将校たちが「統一と進歩委員会」を結成。青年トルコ人革命が勃発する。以後「統一と進歩委員会」により近代化が推進された。第一次世界大戦ではドイツ側につき敗戦し、セーブル条約により帝国の領土の西をギリシアに東をアルメニアに、南東部をクルド人に割譲し、さらに首都イスタンブールは国際管理下におかれた。これに対しムスタファ・ケマル・アタチュルクは祖国回復運動を展開し、国会を召集。トルコ国民軍を結成して外敵を駆逐し、1923年にトルコ共和国の樹立を宣言した。
小麦、米、綿、タバコ、ヘーゼルナッツ、果実、綿などの農業が盛んだ。石炭、クローム、鉄、銅、ボーキサイト、大理石、硫黄など天然資源も豊富。農業製品、冶金、繊維、自動車や農場機器などの工業のほか、近年は、観光業も急速に伸びている。

325年、コンスタンティヌス1世が建築を開始した教会からアヤソフィアの歴史は始まる。その後、焼失を経て、537年、皇帝ユスティニアヌスの命により大聖堂が完成。ギリシア正教の大本山としてあがめられていたが、後にイスラム寺院に姿を変えた。

1460年代、メフメット2世がトプカプ宮殿の建設を開始し、以後400年もの間、オスマン朝の中心として栄えていた宮殿。オスマン朝のスルタンは各時代の建築様式に従って、増築を重ね、現在のような独特の形が造られた。現在は、博物館として公開されており、財宝類を見ることができる。