

タイの人々の温かいホスピタリティから「微笑みの国」と称され、世界から人々が訪れるタイは長い歴史の中で、いちはやく民主化を実現し近代国家へと前進。
かつては東洋のベニスと讃えられた首都・バンコクは、華麗な色彩と独特の形をした仏教寺院の間を新旧のビルが林立し、タイ人だけでなく、大勢のツーリストが行き交うエネルギッシュな町だ。
スコータイ王朝のイントラチット王が、国号をスコータイとして初代の王となり、タイ族により都市国家が形成されたのは13世紀のこと。3代目のラムカムヘーン大王が即位すると、現在のラオスから、南はシンガポールまでと領土を広げ、タイ文字の制定、上座部仏教を国教とするなど、内政だけでなく、文化面でも多くの実績を残していった。
しかし、王の死後、王朝は急速に衰え、ウートーン候がアユタヤに首都を移し、国号をアユタヤと制定した。以後400年以上も、統一王朝を存続させ、西欧貿易の中継地点として発展。多くの寺院や建物を残した。その後、16世紀中頃にはビルマ(ミャンマー)に征服されるが、17世紀初頭ナレスワン大王が失った土地を回復。中央集権制度を確立し、アユタヤはアジア有数の商業都市として栄えた。しかし、18世紀には再びビルマがアユタヤへ侵攻、一夜にしてアユタヤ王朝は終焉する。
アユタヤ王朝滅亡後は、アユタヤの将軍、タークシンが挙兵。ビルマを撃退し、トンブリーに新都を定めた。しかし、15年の治世の末、1782年チャクリーのクーデターに倒れた。
チャクリー王朝の始祖ラマ1世が首都をバンコクに移したため、バンコク王朝、ラタナコーシン王朝とも呼ばれている。ラマ1世は国内を整備し、ラマ4世は英国をはじめとする西欧諸国と自由貿易を原則とする就航通商条約を結び、近代国家としての基礎と絶対君主制を確立した。
1932年、軍人により、クーデター(無血革命)が起こり、絶対君主制から立憲君主制へと移行。また、1939年には、それまでのサイアム(シャム)からタイ(自由の国)へと国名を改めた。
第二次世界大戦時は、日本軍が進駐したが、巧みな外交作戦により敗戦国にはならず、戦後は、王のもとで歴代内閣により民主主義国家としての政治が行われている。
タイの主な産業は、米、ゴム、タピオカ、メイズ、果物、砂糖などの農業だったが、農業から工業への産業構造の移行により、繊維、IC、宝石、宝飾、電気機械などの製造業が急速に増大。近年タイにおける長期経済成長の牽引となっている。しかし、現在も農業の就労者数が40%と最も多い。

20万m2の敷地内には、1782年以来、歴代の王により建立された宮殿群が建ち並ぶ。建物や調度品は、金や宝石が散りばめられた豪華なもの。現在は、国家的儀式や祭典の場、迎賓館として利用され、現国王はチットラダー宮殿に居住している。

タイで最高の地位と格式を誇る仏教寺院であり、王室の守護寺院。王室専用であり、タイで唯一僧侶のいない寺院でもある。ヒンドゥー教の神話をアレンジしたラーマキエン物語の描かれた本堂には、高さ66cmの翡翠で造られた本尊が安置されている。