

経済発展の勢いにのって、日々変貌していく台湾。
なかでも第一の都市・台北は徐々に東へと拡大し続け、かつては小規模な住宅地が密集するエリアであった信義(シンギ)は東部再開発地区の中心地となっている。国際会議中心、世界貿易センター、外資系ホテルをはじめ、101階建ての台北国際金融センター「台北101」などが誕生し、台湾経済の底力を象徴する街として、脚光を浴びている。
漢民族が台湾に移住する以前、台湾には東南アジア方面からわたって来た民族が住み着き、いくつかの部族に分かれて暮らしていたといわれる。
16世紀、当時アジア海域で活躍していたポルトガル船がヨーロッパ人で初めて台湾を発見。このとき船長は「イラ・フォルモサ(麗しの島よ)」と呼んだという。1622年、オランダはまず澎湖島を占領し、続いて現在の台南市周辺を占領。プロビデンシア城やゼーランジャ城を築いた。一方1626年スペインが台湾北部に進出するものの、1642年には、オランダ勢力によって台湾から追放され、台湾全土がオランダの植民地となった。
1644年、中国北部の満州族の清により明が倒されると、鄭成功をはじめとする明朝の遺臣たちは台湾に渡り、1661年オランダを駆逐。台湾を「抗清復明」の拠点とした。鄭氏は3代にわたって台湾を統治したが、1683年清に降伏、台湾は清の統治下に入ることになった。
19世紀半ばになると、再びヨーロッパ列強諸国が接近。1874年には日本による台湾出兵がおこなわれ、1884~85年の清仏戦争の際には、フランス艦隊が台湾北部の攻略をはかった。1895年、日清戦争の結果締結された下関条約で、台湾と澎湖列島は日本に割譲。日本は台湾総督府を置き植民地統治を開始した。
1945年、日本の敗戦で、台湾と澎湖列島は中国へ返還されたが、1949年に中国共産党が中国国民党を破り、中華人民共和国の成立を宣言すると、蒋介石率いる国民党政権は台湾へ逃れ、蒋介石は即座に厳戒令をしき、全権を掌握した。
国民党による一党独裁の体制は長く続いたが、1986年には政党結成の自由を認め、1987年には戒厳令を解除するなど、台湾の民主化が進められていった。
第二次世界大戦後の輸出指向工業化政策、重化学工業化政策、自動車産業政策などにより、石油化学や精密機械など各種工業でめざましい発展を遂げた台湾。特にコンピューターなどのハイテク産業は世界的にも有名だ。現在は、電気・電子、鉄鋼金属、繊維、精密機械などの産業により、着実に近代化への道を歩んでいる。

世界貿易センターや国際会議中心など、東部再開発の中心地に誕生した台北国際金融センター。101階建てという世界一の高さを誇り、89階の展望台からは台北の町並みが見渡せる。下層部にはショッピングセンターもあり、人気のスポットだ。

台北のシンボル的存在にもなっている、台湾一の格式を誇る超豪華ホテル。中国宮殿様式の贅を尽くした造りで、世界10大ホテルの一つに数えられる。建築デザインに、20万以上の龍の彫刻が施されているため、別名「龍宮」とも呼ばれている。