

長い歴史の中で、何度となく外部からの侵攻を受けてきたスペイン。国家の統一後、大航海時代には、莫大な富をヨーロッパにもたらし、文化や芸術の発展にも貢献してきた。
1986年、EC(現EU)への加盟後は、バルセロナ・オリンピックやセビーリャ万博の開催にともない高速鉄道が開設されるなど、社会基盤がさらに整備され、みごとな変貌を遂げた。
紀元前、イベリア半島には、地中海沿岸にフェニキア、クレタなどの植民地が造られていた。しかし、第二次ポエニ戦争で、ローマがカルタゴに勝利すると、ローマ化が進み、4人のローマ皇帝を輩出。4世紀になると、ゲルマン民族の大移動が始まり、そのうちの西ゴート族がトレドを首都にして、西ゴート王国を建設した。しかし、711年、北アフリカよりムーア人がイベリア半島に侵入。イスラム勢力は後ウマイヤ朝を成立させると、首都をコルドバに定めた。これに対してカトリック教徒は、レコンキスタ(国土回復運動)を展開。
15世紀末には、カスティーリャ王国のイザベル女王とアラゴン王国のフェルナンド王の結婚を機に、イスラム教徒の最後の拠点であったグラナダが攻略され、カトリック教徒により国家が統一された。
その後、大航海時代が始まり、イザベル女王が後援するコロンブスがアメリカ新大陸を発見。さらに、イザベル女王とフェルナンド王の孫にあたるカルロス1世は神聖ローマ帝国の皇帝カール5世として即位し、ヨーロッパそして南米を支配する大帝国として黄金期を迎えた。
しかし、寵臣政治などにより、スペインは国力を失い、中南米の植民地を次々と失っていく。第一次世界大戦では、不介入の姿勢をとったが、国内には、アナーキズムやマルキシズムが流入し、強力な左翼勢力が出現。1936年には、左右両勢力による内戦が勃発し、約100万人のスペイン人の命が奪われた。内戦は右翼保守主義のフランコの台頭により終結するが、以後40年間にわたり、フランコの独裁政治が続いた。
フランコの死後、ファン・カルロス1世が即位し、スペインは主権在民の立憲君主国家として新たなスタートをきり、1992年にはセビーリャ万博、バルセロナ・オリンピックなども開催された。
かつて盛んであった農業から工業へと転換してきた。また、工業でも、伝統的な革製履物や衣類、ゴム製品などの伝統的な軽工業のほか、自動車などの重工業も発展。また、太陽と海に恵まれたスペインは観光産業なども盛んだ。

9世紀にはイスラム教徒の城塞があり、11世紀からは王の居城として使用されてきたが、1734年の火災で焼失。現在見られるのは1764年に再建されたものだ。赤いビロードで覆われた王座の間をはじめ、約2800の部屋がある。公式行事のとき以外は一般に公開されている。

1882年、サン・ホセ協会のための教会として着工。アントニ・ガウディによる18本の塔が立つ独創的な設計が採用されているが、ガウディの生前に完成したのは「生誕の門」のみだった。現在は8本の塔が完成しているが、全てが完成するのは、200年後ともいわれている。