

ひとたび内陸部に入れば、野生の動植物などに出会え、大自然の息吹を感じられる自然の宝庫、南アフリカはゴールドラッシュ、ダイヤモンドラッシュに沸いた19世紀後半からめざましい経済発展を進めてきた国だ。一攫千金を夢見て、多くの移民が流れ込んだ結果、多数の文化が混在する文化を確立し、他国にはない独自の道を歩んできた。
紀元前数千年ごろ、西部の狩猟民族のコイ・サン人が、また、300~900年代には、バントゥー系諸民族が南に移動し、現在の南アフリカ東部に定住するようになっていた。 彼らの生活を一変させたのが、1652年のオランダの入植だ。彼らが喜望峰を中継基地とし、ケープ植民地を形成すると、オランダだけでなく、フランス、ドイツからも移民が押し寄せてきた。そしてオランダ語をもとに諸外国の言葉が入り混じった独特の言語を話す、アフリカーナーを形成した。
18世紀の終わり頃になると金やダイヤモンドの鉱脈を狙って、イギリス人が侵入する。1795年にイギリスがケープタウンを占領すると、1814年にはオランダが譲渡し、正式にイギリス領となった。イギリスは、公用語に英語を採用、またイギリスの司法制度を適用するなど、次々にイギリス化を計っていった。これに反発したアフリカーナーは、内陸部へと進みトランスヴァール共和国やオレンジ自由国を建設した。
19世紀末にはアフリカーナーが金とダイヤモンドを発見するが、1899年、イギリスとその支配権を巡り、ボーア戦争が勃発。アフリカーナーは敗北し、その全てがイギリスのものとなった。
イギリスは1910年、アフリカーナーの地域を、南アフリカ連邦として統合、独立させ、大英帝国内の主権国家としてアフリカーナーの自治を確立する。1948年に政権を握った国民党は、アパルトヘイト政策(人種隔離政策)を本格的に進め、国際社会から激しく非難されるが、この政策を推し進め、1961年、イギリス連邦から脱退。国名を「南アフリカ共和国」に変え、共和国になる。
1980年代になると、国際的に経済制裁を受けるようになり、南アフリカ各地でも反アパルトヘイト運動が高まる。その結果1989年、アパルトヘイト関連法の廃止、人種差別の法律の全廃を決定する。
1994年4月に、全人種参加の総選挙が実施され民主政府が誕生。
イギリス連邦と国連に復帰。1996年に新憲法を採択。国民党は政権から離脱した。
豊富な鉱物資源を誇り、金、ダイヤモンド、プラチナ、ウラン、鉄鉱石、石炭、銅、クロム、マンガン、石綿などが産出される。なかでも、南アフリカは世界最大の金産出国として知られている。またトウモロコシ、柑橘類、小麦、砂糖、羊毛、皮革類などの農業も盛んで、トウモロコシは周辺諸国への輸出が高い。そのほか、食品、製鉄、化学、繊維、自動車などの工業も盛んだ。

ヨハネスブルクのシンボルとなっているビジネスセンター。町の中心部にそびえ、最上階の展望台からは、南アフリカの最大の都市といわれるヨハネスブルクの町並みが360度見渡すことができる。

南アフリカの首都・プレトリアの中心部にある広場。中央には、ボーア戦争で指揮をとったかつての大統領ポール・クルーガーの像が立つ。また、周囲は旧南アフリカ連邦議会議事堂をはじめとする見所スポットが集まっている。