

日本とも歴史的に関わりの深い国、オランダ。17世紀前半のオランダは、海外発展、干拓事業の推進、芸術・学問の開花によって黄金時代を創出し、首都アムステルダムは世界の貿易・金融の中心となった。その後戦争による苦難の時代を経て、1815年ネーデルラント連合王国が成立。現在はNATO、EUを軸とする西欧中心の政策を推進している。
現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルクが位置するベネルクス地方は、古くはネーデルランドと呼ばれていた。紀元前57年にはローマ軍が征服し、農工業を発達させ、以来、ローマ帝国、神聖ローマ帝国、ハプスブルク家、スペインなどの支配を受け続けていた。しかし、1568年にオランダ80年戦争が勃発。スペインから独立し、ネーデルラント連邦共和国を成立した。その後1648年に「ミュンスターの講和」により独立が認められた。
オランダは、戦争中に設立した東インド会社を中心に、世界の海を制し、黄金時代を迎えていた。芸術や文学などの文化、科学なども発達したが、3度のイギリスとの戦いに敗れ、次第にその勢力も衰えていった。そのため、残された東インド植民地(インドネシア、オランダ領東インド)の領域支配を進め、この地において過酷な植民地支配を行った。やがてフランス革命の後、ナポレオン率いるフランス軍に占領されるが、1813年フランス帝政の崩壊により、ネーデルラント連合王国(オランダ)が樹立される。その後、1830年には、ブリュッセル革命がおこり、ベルギーが独立を果たす。
第一次世界大戦では、中立を守ったが、第二次世界大戦では、中立宣言していたにもかかわらず、ドイツ軍に占領され、オランダ王家はイギリスに亡命。1941年には、中立を破棄し、日本へ宣戦布告するものの、東インド会社は日本軍に占領された。1945年、連合軍により解放されるが、戦後オランダの植民地は次々と独立。さらに、オランダも近代工業国家として着実に発展をしていった。
第二次世界大戦中の1944年には、ベルギー、オランダ(ネーデルラント)、ルクセンブルクのベネルクス3国は、関税同盟結び、労働力と資本も自由化して経済連合を発足。これは、EEC(ヨーロッパ経済共同体)の起源となり、さらに、EC(欧州連合)へと発展した。
オランダでは、銀行、保険、輸送をはじめとするサービス産業、アグロ・インダストリー、化学、エレクトロニクス、金属に代表される製造分野も盛んだ。エネルギー・資源産業では、天然ガスの大生産地であり輸出国でもある。また、オランダは農業生産物の世界三大輸出国の1つでもあり、チューリップや野菜、乳製品で有名な農業分野は、非常に近代化されている。

アムステルダムの中心部にある広場。もとはアムステル川をせき止める堰(ダム)として1270年頃に設けられた。これにより川の両岸が結ばれ、周辺に人々が集まって町が誕生した。「アムステルダム」の市名の語源でもある、歴史的な中心地である。

19世紀にアムステルダムとオランダ各地を結ぶ鉄道が次々と開業。当初これらのターミナル駅は市街地の東西に分散していたため、北側の水域を埋め立てて駅を建設。1889年に「アムステルダム中央駅」として開業した。オランダの重要なターミナル駅となっている。