

ローマ帝国崩壊後、統一国家がなかったイタリアは、カトリックの中心地として繁栄した首都・ローマ、ルネッサンスが開花した経済の中心地フィレンツェなど、各地がそれぞれ地方色豊かな文化を発達させてきた。
1861年の国家統一後は、第一次・第二次世界大戦を経て、奇跡的な経済発達を実現。ヨーロッパ通貨統合の一翼を担った。
紀元前27年より繁栄していた西ローマ帝国が滅びた後のイタリアは、東ゴートや東ローマ帝国などに支配されたが、962年からは神聖ローマ帝国の王が君臨していた。しかし、地中海貿易によりヴェネツィアが勢力を拡大。さらに、11世紀後半になると各地にコムーネ(自治都市)が形成され、都市国家へと発展。ルネッサンス文化が繁栄し、ダンテやミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチらにより、芸術的偉業が成し遂げられた。
近世に入ると、地中海貿易の衰退によりイタリアの各都市も没落し、1494年にはフランスとスペインによりイタリアの領土を巡るイタリア戦争が勃発。 1796年にはナポレオンがイタリアへ遠征するなど、イタリアは他国に翻弄され続け、1815年からは、ウィーン会議によりヴェネツィアなどがオーストリアの支配下となった。これに対し、庶民の間では、自由主義、民族主義が高まり、1850年代に入ると、リソルジメント(独立運動)が活発化していく。 1848年のイタリア革命運動や1859年のイタリア統一戦争の後、1861年にイタリア王国が誕生し、エマヌエーレ2世が初代国王に就任した。続いて、ヴェネツィアやローマを併合。1871年ローマを首都とした。
第一次世界大戦は勝利し、南チロル地方などを併合するが、国内経済の混乱の中でファシスト党が台頭し、1922年ムッソリーニが政権を握って独裁体制を固めた。日独伊三国同盟を結び、第二次世界大戦に参戦するが、1943年には政権は倒れ、無条件降伏することとなる。また、軍部と王室によるレジスタンスが蜂起し、ムッソリーニは追放された。
戦後は、1946年に新憲法制定議会選挙と国民投票により、王制を廃止。イタリア共和国として、新たなスタートを切り、西側陣営の一員として1950年代から60年代初めにかけて、奇跡の経済復興を遂げた。
主な産業は、機械、繊維、自動車、鉄鋼などの工業のほか、農業では、ブドウの生産高が世界第1位、またワインの生産高も第2位となっている。また、グッチやプラダなどを代表する服飾産業や映画、観光なども盛んだ。

ローマの中心にある広場で、周囲には1870年のイタリア統一をたたえ、1885年に建設されたヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂や、初期ルネッサンス建築のヴェネツィア宮殿が立つ。現在ヴェネツィア宮殿では、ルネッサンス期の芸術品を展示している。

2245 体の聖者像と135本の小尖塔で装飾されたミラノのシンボルともいえる大聖堂。最も高い塔は、高さ108.5mを誇り、その先にはマリア像が立つ。ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの命により、1386年に建設が始まったが、完成には500年もの年月が費やされた。