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ユダヤ教、イスラム教、そしてキリスト教の聖地である永遠の都・エルサレムを抱くイスラエル。度重なる他国からの侵略の末、諸外国へと散っていったユダヤ民族はいつか故郷に帰る日を夢に見ながら、独自の文化を守り続けてきた。シオニズム運動の末、イスラエルが誕生したのは1948年のこと。以来、周辺諸国との対立時代を経て、急進的な発達を果たした。
※数字はイスラエルが併合した東エルサレム及びゴラン高原を含むが、右併合は日本を含め国際的には承認されていない。
ユダヤ民族の歴史は聖書の創世記に始まる。紀元前17世紀の族長アブラハムとその子イサク、孫のヤコブらはカナン(現在のパレスチナ地方)で遊牧生活を行っていた。国に飢饉が広がると、ヤコブは一族とともにエジプトに移り住み、ユダヤ民族はエジプト人の奴隷として強制労働に苦しんだ。しかし、紀元前1280年ごろに出現したモーセに率いられエジプトを脱出。しだいにユダヤ民族はカナンの地に戻っていく。紀元前1020年、イスラエル初の王サウルが即位。古代王国が栄えたが、王国は北と南に分裂し、それぞれアッシリアと新バビロニアに滅ぼされる。その後、ギリシャ、ローマの勢力下におかれ、132年に蜂起したバル・コフバの乱を鎮圧されて古代ユダヤ史は幕を閉じた。
以後、イスラエルの地はアラブ、セルジューク朝、十字軍、マムルーク朝、オスマン朝などに支配された。その間、ユダヤ民族は世界各地に離散。しかし、ヨーロッパにおいて、キリスト教への同化を拒み続けたユダヤ民族はしばしば迫害の対象となり、特にレコンキスタが終了したころには、ユダヤ民族がヨーロッパから各地へと流れていった。19世紀末欧州で勃興した反ユダヤ主義を契機として、故郷の再建、ユダヤ教文化を復興させようというシオニズム運動が起こり始める。
ヨーロッパでシオニズム運動が盛んになると、1917年、パレスチナの植民地化を画策していたイギリスのバルフォア卿がユダヤ民族国家建設の協力を宣言(バルフォア宣言)。1922年にはイギリスは国際連盟からパレスチナの任意統治を認められ、これを機にユダヤ人のパレスチナへの移住が増大。先住のアラブ民族との間で激しい戦いが起こっていた。一方、ヨーロッパでは、アドルフ・ヒトラーが大規模なユダヤ人迫害政策を実施。600万人にもおよぶユダヤ人が虐殺された。
第二次世界大戦後、イギリスがパレスチナ・アラブとユダヤの抗争を収拾できなくなると、1947年国連総会はパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分裂する決議を採択。イギリスの統治が終了し、イスラエルは1948年独立を宣言した。
ダイヤモンド研磨加工、ハイテク関係、食品加工、繊維、ゴム、プラスチック、薬品、機械、電子機器、カリ、臭素、燐鉱石などの鉱工業をはじめ、柑橘類、野菜、穀物、酪農品などの農業により発展してきた。観光業が盛んで、宗教上由緒ある聖地や考古学上の遺跡には世界中の人々が訪れる。

ローマのティトス将軍がソロモンの神殿を崩壊させたとき、部分的に残った西側の外壁。神殿崩壊後、ユダヤ人は年に1度だけ許可されている来訪の度に、ここで祈るようになっていた。現在もアブの月9日(7月か8月)には世界各国から多くのユダヤ人が集まり祈りを捧げる。

古くはソロモンの神殿があったといわれる神殿の丘に位置する。691年、ウマイヤ朝のアブドゥル・マリクにより造られたもので、1522年にはシュレイマン大帝により青いタイル、1964年にはドームが金メッキのアルミ板に変えられ、現在の姿となった。