

約1万8000もの群島からなる東南アジア最大のインドネシア。
バリ・ヒンドゥーを信仰するバリ島に見られるように人々は島ごとに特色のある文化を築き、生活してきた。
1602年、オランダが来航して以来、西洋の近代文化を上手く取り入れ着実に発展。
首都・ジャカルタには、世界各国からビジネスマンが集まる。
1891年、ジャワ原人(ピテカントロプス)の化石が発見され、およそ80~100万年前には人類の祖先が、ジャワ島に存在していたこと確認された。
紀元前3世紀ごろになると、中国南部やベトナム辺りからさまざまな民族がインドネシアへ移住し始めた。また、その後紀元前1世紀にはインドの貿易商達がヒンドゥ-教文化をもたらした。
7世紀ごろには、ボロブドゥールを建造したシャイレンドラ王家やヒンドゥー教を信奉するマタラムなど、大小の王国の興亡が繰り返された。なかでもスマトラのスリウィジャヤ王国は南海貿易をコントロールして栄え、東南アジアで最も強大な王国として勢力を誇り、14世紀まで繁栄した。
13世紀になると、ヒンドゥー王国マジャパイトが東ジャワで台頭し、その後200年間インドネシア全域とマレー半島の一部を統合。さらに、イスラム教が伝わり、市民の多くが改宗。急速にイスラム化が進み、やがてイスラム教徒は約90%を占めるようになる。
16世紀、大航海時代になると、香辛料貿易の利益を求めて、各国の船が次々と来航。1602年にオランダは東インド会社を設立。植民地を拡大していき最終的には、ティモール島東部を除く、現在のインドネシア領の大部分を植民地とした。ジャワ戦争やバドゥリ戦争、アチェ戦争などの独立を目指した闘争があったが、その支配はおよそ300年、第二次世界大戦の日本軍侵攻まで続いていった。
大戦終了後、オランダは、再度の植民地化をはかったが、国際的非難などにより1949年12月27日、ついにインドネシアの主権を認め、1950年、インドネシアは共和国として正式に独立した。
独立後は、「建国の父」と呼ばれるスカルノ初代大統領、「開発の父」スハルト大統領など、独裁政治が続くが、市民から民主化が叫ばれ、1999年の総選挙では、スカルノ大統領の娘メガワティ女史が率いる闘争民主党が圧勝。第一党となり、続いて、2001年には、メガワティ大統領が誕生した。
農業国で、米、ゴム、パ-ム油などの生産量が高い。鉱業資源にも恵まれ、石油、LNG、アルミ、錫などの採掘量も高く、工業では木材製品、セメント、肥料などが盛んだ。近年は日系企業も多く進出している。

高さ137m、頂上部には35kgの純金でかたどられた炎が据えられているタワー。エレベーターで展望台に登れば、ジャカルタの町並みを一望できるほか、1945年8月17日、スカルノ大統領に読まれた「独立宣言文」を見ることができる。

多くのイスラム教信者が集まり、信仰心の厚さを肌で感じられるモスク。1961年、スカルノ初代大統領時代に建設が始まり、17年もの年月をかけて完成した。東南アジアで最大規模のイスラム教礼拝堂として知られている。