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城や教会、美しい中世の町並みが印象的なドイツ。
40年もの間、東西の分断統治が行われていたが、1989年、熱狂の中でベルリンの壁が崩壊し、翌年には、ドイツ連邦共和国として新たなスタートを切った。
以来、新・首都となったベルリンの再開発が次々に進められ、ポツダム広場には世界屈指の建築家による高層ビルが林立。近代的な都市へと日々生まれ変わっている。
紀元前、イベリア半島には、地中海沿岸にフェニキア、クレタなどの植民地が造られていた。しかし、第二次ポエニ戦争で、ローマがカルタゴに勝利すると、ローマ化が進み、4人のローマ皇帝を輩出。4世紀になると、ゲルマン民族の大移動が始まり、そのうちの西ゴート族がトレドを首都にして、西ゴート王国を建設した。しかし、711年、北アフリカよりムーア人がイベリア半島に侵入。イスラム勢力は後ウマイヤ朝を成立させると、首都をコルドバに定めた。これに対してカトリック教徒は、レコンキスタ(国土回復運動)を展開。
15世紀末には、カスティーリャ王国のイザベル女王とアラゴン王国のフェルナンド王の結婚を機に、イスラム教徒の最後の拠点であったグラナダが攻略され、カトリック教徒により国家が統一された。
その後、大航海時代が始まり、イザベル女王が後援するコロンブスがアメリカ新大陸を発見。さらに、イザベル女王とフェルナンド王の孫にあたるカルロス1世は神聖ローマ帝国の皇帝カール5世として即位し、ヨーロッパそして南米を支配する大帝国として黄金期を迎えた。
戦後は、米英仏の支配する西ドイツ「ドイツ連邦共和国」とソ連の支配する東ドイツ「ドイツ民主共和国」に分断。1961年には、東西を分ける壁が作られた。
ソ連の解体に端を発した東欧革命により、ベルリンの壁が崩壊したのは1989年のこと。1990年には東西ドイツの統一が果たされた。面積だけでなく人口も巨大化したドイツは、EUの産業経済の中心的な役割を果たしている。
ベンツやBMWなどドイツの自動車産業は世界的にも有名だ。これらは高級品として世界中で人気を集めており、自動車産業は、ドイツ経済における最も重要な産業分野の一つ。生産された自動車車両のうち、半数以上を海外へ輸出している。機械エンジニアリング関係企業も多く、ドイツは機械エンジニアリングにおいて世界をリードする国の一つ。近年は、将来を担う環境保護技術やバイオテクノロジー分野でもめざましく活躍している。

ベルリンのシンボルとして知られるブランデンブルク門は、過去の歴史における分割と統合を象徴する歴史的な建築物。東西分断の際、この門の周辺に最初に壁が立ち、ベルリンの壁の崩壊後、1989年12月22日に扉が開かれた。

ヨーロッパの心臓部と言われる大都市、フランクフルトは世界で初めてメッセ会場となった都市。見本市会場では、IAA国際自動車メッセや国際ブックフェアをはじめとする年間約50の展示会とメッセが開催され、約1500万人が訪れる。