

砂漠地帯やフィヨルド、そして内陸部にはアンデス山脈が横たわり、ひとつの国とは思えないほどのさまざまな景観が広がるチリ。1879年に起こった太平洋戦争で、硝石生産地帯とチュキカマタ銅鉱山を獲得し、いちはやく、政治的、経済的、そして社会的にも発展していったこの国には、その恵まれた自然条件と豊かな生活環境に魅せられて、ヨーロッパ諸国から多くの人々が移住している。
チリの先住民は、アジア系人種と、ポリネシア系民族だといわれており、チリ北部には古くから文明が栄えていた。ペルーにインカ帝国が興ると、16世紀にはチリ北中部までがその支配下に置かれていた。16世紀中ごろ、ペルーを征服していたスペイン人、フランシスコ・ピサロの配下であったペドロ・デ・バルディビアがチリに侵入。サンティアゴ市を創建し、南部の諸都市を建設。以降、南部へと領域を拡大していった。
以後3世紀にわたってスペインの統治は続いたが、18世紀後半には、海外貿易にフランス人が加わり、チリは経済的に発展した。それと同時に、スペインからの独立への気運が高まり、1810年9月18日、クリオージョ(南米生まれのスペイン人)により、チリに自治政府が誕生。その後、一度はスペインに統治権を奪われるものの、南米独立の英雄、ホセ・デ・サン・マルティンの救援を得て、1818年にベルナルド・オイギンスが独立を宣言し、初代元首となった。独立後、一時は混迷状態となったが、後に、新憲法が公布され、大統領集権政治の原則を樹立。1879年、ペルー、ボリビアとの間に勃発した太平洋戦争で、ペルーからはアリカなど、ボリビアからアントファガスタなどを獲得。硝石生産地帯とチュキカマタ銅鉱山など、鉱山資源が多い地域を得たチリは、経済繁栄時代を迎えることとなる。
その後も政権は安定せず、1970年には、社会主義化を目指したアジェンデ社会主義政権が誕生するが、急激な変革に対する人々の不満が募り、1973年のクーデターにより崩壊。アウグスト・ピノチェトが大統領となり、軍事政権を発足。それと同時に戒厳令を発布し、国家閉鎖、政治活動を禁じた。しかし、1989年、19年ぶりに行われた大統領選挙で、反軍政派のパトリシオ・エイルウィン(キリスト教民主党)が圧勝し、以後は、民主主義を維持するとともに、高い経済成長を維持し、インフレの抑制に成功。経済面において「ラテンアメリカの優等生」と称されている。
太平洋戦争で、チュキカマタ銅鉱山などを得たチリでは、銅や銀など、金属鉱物資源が豊富で鉱業が盛んだ。また、肥沃な土地に恵まれ、農業や酪農が盛んに行われている。最近では、観光業も成長を続けている。

パタゴニアの中でも最も有名なパイネ国立公園は、1959年にユネスコより保護区域として指定。公園内には、トーレス・デル・パイネ(3本の岩峰)をはじめ、グレイ湖、ペオエ湖といったすばらしい大自然を堪能できる。「一日のうちに四季がある」とも言われるほど、変わりやすい天気でも知られている。

北パタゴニアの氷床のサン・バレンティン氷床の中にあるサン・ラファエル氷河。この氷床には無数の川と湖が存在する。サン・ラファエル氷河は、数あるパタゴニアの氷河の中でも、その雄大さで傑出していると言われている。