

イギリスとフランスの植民地支配を受けながらも、20世紀以降は、農業・工業大国として見事な発展を遂げたカナダ。
国を形成する各州の州都には、バンクーバーの「カナダ・プレイス」やトロントの「CNタワー」などの近代的な建物がそびえ立ち、山間部には、カナディアン・ロッキーをはじめとする壮大な自然が残る。
「世界で最も住みやすい場所」と称されるこの国は、各国からの移民を受け入れ多文化国家を形成。新たな発展が期待される。
北米大陸の先住民族は、今から数千年前にアジアから、シベリアとアラスカの間の陸地を通ってやってきたと考えられている。 15世紀になると、極東との交易航路を求めて、イギリスやフランスの探検家がカナダを訪れる。1497年にはイギリスがニューファンドランド島に上陸。イギリスは、ハドソン湾周辺と太平洋沿岸に植民地建設を開始し、一方フランスは1534年にセント・ローレンス川と五大湖、そしてミシシッピー川に沿って進み、植民地建設を始めた。
イギリスとフランスとの抗争が激化すると、1759年にはアブラハム平原の戦いが勃発。ケベック・シティが陥落するとパリ条約により、フランスは植民地をイギリスに割譲。イギリスは、フランス系住民に対しケベック法を制定し、フランス民法の適用と宗教・言語の自由を公認した。
1837年から38年にかけて、何度か起こった反乱の後、イギリスはカナダ連合法を成立。1848年、合併されたカナダは、外交権を除いて、自らの責任政府をもつことが認められた。続いて、1867年にはカナダ・イースト、カナダ・ウエスト、ノバ・スコシア、ニューブランズウィックの各植民地が「英領北アメリカ法」の下に統一され、連邦国家、自治領カナダが誕生。マニドバ、ニューファンドランド州なども加わり、現在のカナダの形が形成された。
国家の成立とともに、カナダ西部への移民が激増し、人口は1913年に40万人に達し、また、農業大国、工業大国として、国の基礎を確立していった。
第一次世界大戦で大きな役割を果たしたカナダは、戦後、国際連盟の中でイギリスとは別に独自の代表権を獲得。やがて、独立を叫ぶ声がますます高くなり、ついに1931年、イギリス議会で「ウエストミンスター条例」が通過し、カナダはイギリスからの自治権を法的にも保障された。
主な産業は金融、保険、不動産業、製造業、商業など。カナダの天然資源埋蔵量は世界ランクの上位を占め、技術革新や技術進歩などの要因もあり、天然資源産業は、カナダ経済で最も生産性の高い分野になっている。また、世界の森林の10%が育成するカナダでは、建築材料と住宅製品の産業も盛んで、人口の約3分の1が天然資源や環境関連の仕事に就いているという。

バンクーバーのシンボルになっている複合施設。1986年に開催されたバンクーバー万博のカナダ館をそのまま利用し、大型クルーズ船も着岸するマリーナやホテル、レストラン、コンベンションセンターを併設している。

天を突くようにそびえる姿が、トロントのシンボルとなっているタワー。地上553.33mと、世界一の高さを誇り、週末には多くの観光客が訪れる観光スポットだ。346m、447mの位置にはそれぞれ展望台が設置され、360度トロントの全景を見渡すことができる。