

中部ヨーロッパに位置する小さな国、オーストリア。ヨーロッパの中央に位置するため、先史時代から多くの民族がこの地を通過していき、ヨーロッパ大陸のあらゆる歴史と運命を共にしてきた。戦後、1955年に独立し、その後は永世中立国としての道を歩み、経済発展を果たしている。
先史時代、今日オーストリアが位置する地域には、集落が形成されていたといわれ、紀元前2世紀に、鉄器文明をもつイリュア人が定住。さらにこの文明はケルト人により発展していた。その後、ローマ帝国の属州になるなど支配者が変わるが、796年にはカール大帝がアヴァール族に対する防塁として、オストマルク(東部辺境区)を設置。976年、オストマルクはバーベンベルク家に授封され、これが、オーストリアの基礎となっている。
1156年、公爵領に昇格したこの領域は、バーベンベルク家断絶後の1249年、ハプスブルク家のルドルフ1世が君主として擁立された。ハプスブルク家は巧みな婚姻・同盟政策で領地を拡げ、「太陽の沈まない帝国」と呼ばれるほどの世界帝国を築き上げていった。また15世紀半ばからは、ほぼ一貫しハプスブルク家から神聖ローマ帝国の皇帝が選出された。
しかし、フランス革命やナポレオン率いるヨーロッパの進軍により、フランツ1世はオーストリア帝国を宣言し、神聖ローマ帝国の帝位を放棄、神聖ローマ帝国は崩壊する。さらに、プロイセンとの戦いに敗退し、1867年には、オーストリア=ハンガリー二重帝国となる。1914年サラエボでの皇太子暗殺事件を発端にセルビアとの戦争に突入、第一次世界大戦が勃発する。1918年、チェコ、ハンガリーが独立し、皇帝カール1世が国外退去となり、ハプスブルク家はその長い歴史に終止符を打つこととなる。
敗戦により、オーストリア第一次共和国が誕生。1920年には憲法が公布され、連邦国家として再出発を果たすが、1938年、ドイツに併合され、第二次世界大戦へと突入した。1945年にふたたび独立を宣言するが(第二次共和国)、その後10年間英、仏、アメリカ合衆国、ソ連4カ国の占領下に置かれた。1955年に永世中立国として独立し、国連に加盟。急速な経済発展を遂げ、1995年には、EUに加盟した。
オーストリアは工業国で、特にサービス産業部門が全経済に占める割合が高い。主な工業部門は、機械、鉄鋼、食品加工および嗜好品、化学、自動車産業など。また、農林業では、エコロジー農法を採用する農業従事者の数は二万人にのぼり、この分野ではヨーロッパでも先駆的立場にある。また精密な手工業、ジュエリー、陶磁器、ガラス工業なども世界的に評価されている。

世界屈指の歌劇場の1つ。ウィーンフィルハーモニー管弦楽団を座付きオーケストラとして擁している。1945年に劇場は空爆で破壊されたが、再建にあたっては、舞台部分以外の客席部分は、ほぼオリジナル通りの設計が取り入れられた。奇跡的に戦火を免れた正面と階段室の一帯は、現在も使用されている。

音楽祭とモーツァルトの生誕地として世界中にその名を知られる、中世が息づく美しい街。8世紀に大司教座となって以来、政治的、文化的にローマ法王庁との結び付きが深く「北のローマ」と呼ばれている。